■ 写真付きファンタジーとして広まった40mの大蛇話 長谷川氏は、タバチンガの位置を「アマゾン河の上流モンソンエス河の支流」と書いているが、「モンソンエス河」は「ソリモンエス川」が正しい。サンパウロ市在住の長谷川氏はアマゾンの地理には疎かったことが伺える。 1950年代にサンパウロからアマゾンへ行くには、サンパウロから陸路で約80kmのサントス港へ行き、アマゾン河口の町、ベレンまで大西洋の約5000kmの船旅が唯一の移動手段だった(サンパウロ州からアマゾンへ行く道路は1970年代までなかった)。ベレンからさらに上流のタバチンガまではアマゾン河をさらに3000km以上遡航する船旅になるので、サンパウロからは早くても1カ月はかかったはずだ。 サンパウロとアマゾンはまるで別の国ほど遠い世界なのだ。 私は24歳の時にサンパウロからブラジリアへ、そして開通して日が浅い未舗装のベレン・ブラジリア街道を3日間かけてバスで3800km走りやっとアマゾン入りしたが、サンパウロを出る時にアマゾン事情を知る人はほとんどおらず、「アマゾンに行く? インディオの矢に射られて死ぬぞ」と言われたりした。1972年でもそんな感じだった。 長谷川氏は、大蛇事件の現場であるアマゾンには行っておらず、8000kmを数年かかってサンパウロにまで届いた大蛇事件の「風の便り」を「極く最近」耳にしたのだと思われる。 また、あの大蛇が仕留められたのがタバチンガなのであれば、電話網もない時代ゆえ同じアマゾナス州とはいえ、マナウスの写真館の主がその事件を知るまでにもかなりの時間がかかったはずだ。事件を知り、当時は貴重品だったカメラを携えてタバチンガに駆けつけたとしても、距離はおよそ1500kmあり、到着には河船で少なくとも2週間はかかったろう。 殺されたオオアナコンダが2つの眼をキラリと輝かせたまま、赤道直下の高温多湿のアマゾンで、数週間も腐敗もせずきれいな状態で残っていたとはあり得ない。
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