
覇権国家となる条件は、寛容政策(他民族を受け入れること)だ。古代ローマは、それによって強くなった国家の典型例だ。現代世界では、アメリカがローマの考えを引き継いだ。
中国は、この条件を満たせないので、覇権国家になりえない。
覇権国の条件は「寛容」
エイミー・チュアは、『最強国の条件』(講談社、2011)の中で、寛容主義は最強国となるための必要条件だとして、次のように述べている。
「今日のアメリカの世界覇権は、アメリカが世界で最も寛容な国であり続けた事実による部分が大きい。世界中から最も優秀な人材を呼び寄せ、彼らを活用する能力に秀でていたからこそ、アメリカは今日の世界において、経済、軍事、テクノロジーの各分野で、圧倒的な優位を築くことに成功したのである」
ここで、寛容とは他民族を受け入れることだ。
アメリカの強さは、様々な形で外国人をアメリカ国民として認めたことだ。この例を挙げていけば、尽きることがない。
そして、これを正反対にしたのが、第2次世界大戦におけるナチス・ドイツの劣等民族根絶政策だった。
この政策は、大きなコストを伴った。最大のコストは、優れた科学者がドイツや近隣諸国から逃げ出したことだ。彼らの多くはアメリカにわたり、アメリカの科学技術水準を短期間のうちに急激に向上させた。
ローマは寛容政策で強くなった
寛容が国家を強くしたことは、「歴史的事例を見れば、疑問の余地がまったくないほど明らかだ」と、チュアは言う。
その代表例が古代ローマだ。ローマは、征服した異民族を属国としたが、支配するのではなく、同化政策をとった。
このことは、古くからさまざまな歴史家によって指摘されて来た。
エドワード・ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』(ちくま学芸文庫)で、次のように言っている。
「ローマの偉大さは、征服の迅速さでも、広さでもない。属州の統治に成功したことだ。統治は概して属州の住民のために善政であり、彼らの生活水準の向上に寄与した。だから彼らは、属州化を喜んで受け入れたのである。なかでも、カエサルによるガリアの統治は、典型的な成功例であった」
この点においても、ローマ的寛容政策の正反対にあったのが、ナチスのユダヤ人抹殺政策だ。
ナチスの軍隊がソ連領内に侵攻した当初、ドイツの兵士は解放者として歓迎されることもあった。それは、ソ連から抑圧を受けていたウクライナやバルト三国において、とくに顕著だった。
だが、ナチスはウクライナのユダヤ人を絶滅させるほどに殺害した。その結果、ソ連の全人口がナチスに対する憎悪で団結したのだ。
チュアは、仮にナチス・ドイツがウクライナに対して寛容政策をとったなら、第2次世界大戦の帰結は大きく変わっていただろうという。そのとおりだ。
偏狭さが国家を滅ぼす
ギボンは、さらに、つぎのように指摘している。
「属州化は軍事的に勝ち取ったものだから、反抗が生じる可能性はつねにあった。そこで、ローマに従属することに強いインセンティブを与える必要があった。このためにカエサルが行った重要な改革は、ローマ市民権をイタリア人以外にも与えたことである」
グレン・ハバードとティム・ケインは、『なぜ大国が衰退するのか』(日本経済新聞出版社、2014年)でつぎのように言う。
「征服した異民族にもローマ市民権を与えるというポピュリズム的な市民権拡大策によって、ローマは救われた。属州のヒスパニアの人々に市民権を与えたことで、カエサルはその後数百年にわたってローマ社会を強化した制度的原則を確立した」
ローマ帝国の長い歴史の間には、属国の出身者が皇帝になるといったことが生じた。1世紀末から2世紀後期はローマ帝国の黄金時代だとされ、その時代の皇帝は「5賢帝」と呼ばれている。中でも トラヤヌス、ハドリアヌス、アントヌス・ピウスの3皇帝は別格の皇帝と考えられているのだが、彼らはヒスパニアやガリアの出身だ。
なお、寛容政策は、カエサルが始めたことでなく、ローマの伝統だった。
チュアによれば、ローマ人は、寛容の美徳を古代ギリシャを反面教師とすることで学んだ。ギリシャでは、スパルタとアテネがそうであったように、偏狭さと人種差別が憎悪の連鎖を生み出し、ついに戦争になってどちらも没落するということが、しばしば起きていたのだ。
アメリカはローマの後継者か
ローマの伝統を受け継いだ国がアメリカ合衆国だ。
アメリカの制度がローマと似ていることは、しばしば指摘される。それは、アメリカ建国の父たちが、古代ローマを意識して新しい国を設計したからだ。
ハンナ・アーレントは、『革命について』(ちくま学芸文庫、1995年)で、アメリカ独立(アーレントの言葉によれば「アメリカ革命」)は、ローマを再現しようとする動きであったとし、「アメリカ建国時のフェデラリストたちは、独立当初から、ローマ的な共和制を意識していた」と指摘する。
さらに、つぎのように言う。
「アメリカ革命の人々の活動は、異常なほど古代ローマの先例によって鼓舞され、導かれた」
「マキャヴェリの場合と同じく、彼ら(アメリカ建国の父たち)にとっても、偉大なモデルと先例はローマの共和政であり、その歴史の偉大さであった」
「彼らが自分たちのことを創設者だと考えたのは、彼らがローマの例を真似し、ローマ精神を模倣しようと意識的に努力したからである」
「アメリカは、ビザンティンから欧州という潮流の外にあり、国家と法の権威を宗教に求めることはない。アメリカは古代ローマをモデルとして建国され、その理念は現実的で保守的である」
「アメリカ人が憲法に自らを結びつけた力は、啓示された神に対するキリスト教的信仰でもなければ、同じように宇宙の立法者である創造者へのヘブライ的服従でもなかった。革命と憲法に対する彼らの態度が幾分でも宗教的と呼べるとすれば、『宗教』という言葉を、そのオリジナルなローマ的意味で理解しなければならない」
アーレントがいう「ローマ的意味の宗教」とは、常に先祖の起源に回帰しようとする古代ローマの人々の精神を指す。したがって彼らは「建国の精神」が後継者の絶えざる流れの中で受継がれてゆくことが、国家と法に権威をもたらすと考えたのだ。
アメリカ連邦議会上院の議員は、ローマ元老院senatusと同じセネトsenateという名で呼ばれる(日本語訳では、ローマの場合は「元老院」、アメリカの場合は「上院」と、別の言葉になっているので気づきにくい)。
アメリカの国会議事堂の建築様式は「新古典主義」として知られるもので、古代ローマの復活を夢見たものだ。
その議事堂が建つのは、ワシントンのキャピトル・ヒル。これは、「カピトリーノの丘」の英語形である。この丘は、ローマの7丘で最も高い丘で、ローマの中心地。ローマの最高神であったユピテルやユノーの神殿があった。
アメリカの国章は鷲である(ハクトウワシが翼を広げ、13枚の葉のついたオリーブの枝と13本の矢とを左右の足に握る)。ローマ帝国の国章も鷲だった。
中国の「内なる寛容性」
では中国はどうか?
チュアは、中国は長い歴史において、「寛容政策をとり、それが成功した」と指摘する。ゴビ砂漠から南シナ海にいたる地域に住む数億という様々な人種集団を、漢民族という概念で統一したのであり、それは、古代ローマがさまざまな人種集団を融合したのと同じだという。
広東人、上海人、湖南人は、体格も言語も風習も異なっているから、別の人種と考えるべきだが、それらを、中華思想、儒教と道教、科挙制度、天子思想などからなる中国文明によって同化したというのだ。
EUは、4.5億の人口に対しての同化政策をいま進めようとしている。しかし、中国は14億人近い人口の同化を、歴史のずっと早い時点において実現していた。
だが、中国の寛容性は、「内なる寛容性」だとチュアは言う。
中国は外国からの移民を認めてこれを中国の国民とすることはしなかった。これがアメリカとの大きな違いだ。
現在においてもそうだ。その意味において、中国が覇権国になることはないだろうと、チュアは断言している。
ただし、中国が経済的に大きくなり、アメリカと対抗するようになるだろうと予測する。また、中国の軍事力がアメリカと並ぶか、これを凌駕する可能性もあると言う。
それは、アメリカの「一極優位」の時代が終わり、米中という2つの大国が対立する世界だ。
これが現実に生じつつある。つまり、歴史の動きの基本構造は、アメリカによって引き継がれた「ローマ的寛容」と、外に向かっての中国の「非寛容」との対立だ。
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February 09, 2020 at 04:00AM
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