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Monday, June 20, 2022

バナナ専門店がこだわる熟成管理 佐藤商店3代目が受け継ぐ祖父の感動 | ツギノジダイ - ツギノジダイ

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 同店は佐藤さんの祖父が1931年に創業しました。バナナ専門店にしたのは、横浜の港で初めてバナナを食べて感動し「もっと世の中に広めたい」との思いからです。65年に父親が2代目を継ぎました。

 現在、商社などを通じて1週間に約3万本のバナナを仕入れています。輸入元は主にエクアドル、台湾、フィリピンなどで、最近は沖縄などの国産バナナも入荷しています。

 売り上げは卸売りが7割で、取引先は館山市内の八百屋や道の駅、宿泊施設や千葉県内のスーパーなどです。小売店舗も構え、地元の人だけでなく観光客が買うことも多いといいます。

 店頭に並ぶバナナの値段は品種や熟成度によって差はありますが、フィリピン産は17本で1200円、台湾産は5本で700円、エクアドル産は14本で1450円などとなります。

佐藤商店の店頭に並ぶバナナ(同店提供)

 佐藤さんは子どものころ「バナナを売るだけで、どうやって生活が成り立っているんだろう」と不思議に感じていました。その頃はバブルに差し掛かる時代で、店の仕入れも売り上げも今よりずっと多かったそうです。

 ただ、学校で実家がバナナ屋であることをからかわれ、「バナナ」とあだ名で呼ばれることもあったといいます。家業が嫌と思う気持ちもあり、店の手伝いはほとんどしたことがありません。

 家族がずっと家にいることもわずらわしく、サラリーマン家庭にあこがれていました。

 東京都内の大学を卒業した佐藤さんは出版関係の会社に就職し、営業職として働き始めました。

 しかし、長男だった佐藤さんが30歳を迎えるころ、少しずつ年を重ねる両親のことが気になるようになり、仕事を辞めて家業を手伝うことにしました。ただ、そのときも継ごうとは考えていませんでした。

 佐藤さんによると、バナナの価格は2000年ごろから下落傾向にありました。産地や品種は変わらないものの、海外で安い賃金で雇われた労働者によって育てられたバナナが、日本でも安い価格で出回るようになったのです。

 例えば、フィリピン産のバナナには高地栽培と低地栽培のものがあります。高地栽培のバナナは味がいいものの輸送費がかかるため、価格は高くなります。一方、低地栽培が輸送が楽なので味は落ちるものの安く輸入でき、次第に安いバナナが出回るようになったのです。

 味にこだわる佐藤商店では高地栽培のバナナを仕入れていましたが、取引先のスーパーは同店から仕入れず、安価なものを扱うようになりました。

 佐藤さんが家業に入ったのは、経営が次第に悪化したころだったのです。

 実は佐藤商店は創業時はバナナ専門店でしたが、佐藤さんが子どもだった40年ほど前、バナナだけでなくパパイアやマンゴー、パイナップルなど高価な果物も扱う果物屋「フルーツ佐藤」に転換していました。

 果物の詰め合わせなどを販売していましたが、バナナ専門店のイメージを持っていた近所の人はバナナしか買わなかったといいます。売れ残った果物は廃棄するしかありませんでした。

佐藤さんは奮闘する父を支えました

 それも経営悪化の要因となっていたため、佐藤さんが家業を手伝い始めてからは店の規模を小さくしました。次第にバナナ、りんご、みかんだけを扱うようになっていたころ転機が訪れます。

 初代の祖父がバナナ専門店として創業したことを知ったテレビ局が、佐藤商店を番組で紹介したのです。放送中から注文の電話が入ったり、翌朝の開店時には10人以上が並んでいたり、大きな反響がありました。

 先代はそれを機に2014年、再びバナナだけを扱うことを決めました。

 先代の父は準備を怠らない人でした。現地に行って出荷の様子を自分の目で確認したり、店に並ぶバナナは前日夜からじっくり仕分けたりしていました。

 仕入れの段階でバナナは一つひとつ違います。バナナの知識、熟成のノウハウ、倉庫の毎日の温度、湿度、水分量のチェックは決して言語化できるものではありません。佐藤さんは先代の仕事を目で見て感覚をつかんでいきました。

 一通りの仕事を覚えた後、佐藤さんはお客さんに対してバナナの選択肢を用意することにしました。

 甘さについては、エクアドル産はフルーティー、台湾産はねっとりといったように、品種の違いによってコントロールできます。

 しかし、バナナの熟成具合は好みが分かれます。固いものが好きな人もいれば、買って2~3日経ってから食べたい人もいます。また観光客のように買ってすぐに食べたいお客さんもいるのです。

仕入れたバナナは貯蔵庫で適切な温度や湿度によって管理されています

 佐藤さんは常にいい形でバナナを提供できるように、貯蔵庫の温度と湿度を時間差で変えることにしました。例えば、バナナが100ケースある場合、30ケースは入荷後すぐに温度を上げ、別の30ケースは翌日に温度を上げる、そして残りは2~3日後に温度を上げるといった具合です。

 また、大口のお客さんには納入までの日数を逆算して低い温度で熟成するようにしました。

 バナナは温度を上げるとすぐに黄色くなり、さらに熟すと皮に黒い斑点「シュガースポット」が表れます。シュガースポットの出たバナナは栄養価が高いものの、お客さんはあまり手を出さないといいます。佐藤さんは、店頭に並べたときの見栄えも大事にするようにしました。

 しかし、一気にバナナが売れたり逆に売れ行きが伸びなかったりすると、いい形でバナナを提供することができなくなります。そこで館山市内の道の駅や近所の店にその日の人の流れを聞いて、常に売り上げの予想を立てました。

 こうした努力もあり、佐藤商店は少しずつ追い風に乗り始めました。「世の中が健康志向になり、テニスの試合の合間にアスリートがバナナを食べて栄養補給する様子が放送されたこと、専門特化のビジネスが流行したことなどが、佐藤商店の方針と合致してきました」

 19年7月、佐藤さんは体調を崩すようになった先代に代わり、佐藤商店の3代目の代表取締役になりました。

 半年ほど経った20年初め、一本の電話がかかってきました。フードコートやレストランを運営する企業から「佐藤商店の名前を前面に出してバナナジュースを売らないか」という提案があったのです。

 バナナジュースが流行し始め、新型コロナウイルスの感染拡大が少しずつ心配され始めたころでした。「来るもの拒まず、去る者追わず」がモットーの佐藤さんは、迷わず挑戦を決めました。

 ちょうど、熟成が進んで見栄えの問題で店頭に並べられないバナナを、おいしく食べてもらえる方法を探していたところでした。完熟して甘く栄養価の高いバナナを使ってもらえるバナナジュース専門店は、渡りに船だったのです。

 20年7月、佐藤商店の名前を前面に出したバナナジュース専門店が、千葉市の京葉道路幕張パーキングエリアに開店しました。ただ、運営はすべて契約を結んだ企業が行い、佐藤商店はバナナを卸すことに専念しています。名前の使用によるロイヤルティーはもらっていません。

佐藤商店のバナナを使ったジュースが広まっています(同店提供)

 佐藤さんは「経費をかけずに『佐藤商店のバナナを使っています』と宣伝してくれるのだからありがたい。バナナジュースを飲んだ人たちが館山に来たときに、店に寄ってバナナを買ってもらえたらいいなという気持ちです」と語ります。

 「佐藤商店はバナナ販売のプロ。ジュースのことはその道のプロに任せる」。そんな姿勢を貫いています。

 今では複数の運営会社がバナナジュースを扱うようになり、幕張だけでなく、表参道や横浜など関東近県に8店舗を展開するまでになりました。大阪などにある個人経営のバナナジュース専門店5店舗からも声がかかり、佐藤商店のバナナを前面に出したジュースを販売しています。

 佐藤商店にはホームページはなく、電話かファクスでの注文に限っています。それは母親がパソコンなどのIT機器を使うのが難しいための配慮です。

 佐藤さん自身も商売ではスマートフォンを一切使っていません。「簡単、シンプルに」を心がけながら店を経営しています。

 周りからはIT化を進められるといいます。しかし佐藤さんがアナログにこだわるのは、品質管理をIT化するために経費をかけたくないからです。

佐藤さんは手書きのノートに注文の状況や仕入れたバナナの状態、温度設定などを書き留めています

 初代も先代も、1日に何度もバナナを自分の目で見て管理していました。佐藤さんは時代が変わっても、創業者から続く管理方法を守りたいと考えています。

 コロナ禍による世界的なコンテナ不足で、佐藤商店もバナナを輸入ができず、22年初めには店を10日間休業せざるを得なくなった時期がありました。

 店の倉庫の在庫も空になり、そのころは1カ月半、毎日取引先に謝罪をして回りました。中には信用を失い、取引関係が切れてしまったところもあったといいます。

 最近の円安でバナナの輸入コストが上がり、ガソリン代の高騰で配達にも影響が出ました。佐藤さんは商品をなるべく高級化したくないと考えていますが、確実に影響は及んでいます。

 逆風下で新たに取り組んだことがあります。「バナナが館山の佐藤商店で買ったものとわかるようにしてほしい」とお客さんに言われたことを機に、屋号を明記したシールを作り、バナナに貼るようにしました。店の看板も新しくし、場所がわかるようにのぼりも立てました。

 「コロナ禍が終わるのはいつになるかわかりませんが、一つひとつの挑戦を大事にしていきたい」と佐藤さんは前を向きます。

佐藤さんは店の看板を一新し、のぼりも立てました

 先代は21年に78歳で亡くなり、現在は76歳の母親と2人で店を切り盛りしています。

 佐藤さんは「初代や先代が作り上げたものを守り、バナナの品質は絶対に落とさないようにしたい」と考えています。

 「自分で言うのは少しおこがましいですが、『これが佐藤商店のバナナです』と自信を持って言えるように取り組みたい。『おいしいね、さすが専門店だね』と言われるのはうれしいですから」

 最近は国内でもバナナが栽培されるようになり、国産バナナを1本500円前後で販売する生産者もいるといいます。

 佐藤商店では、バナナの高級路線も店の拡大も考えていません。ただ、店を守っていきたいという気持ちは強いといいます。「横浜の港で初めてバナナを食べて感動し、もっと世の中に広めたいとの思いでバナナ専門店を創業した」という祖父の気持ちを大事にしたいからです。

 「スーパーよりはちょっと値が張るバナナですが、その値段の分、味がいいものを売っていきたい」

 佐藤さんはこれからもバナナ専門店として挑戦を続けていきます。

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