手土産選び、難しいですよね(写真はイメージです)
小さい頃、ウチに訪ねて来られるとき必ずバナナを一房お土産に持ってきてくださる人がいた。その方は父の同人誌時代からの作家仲間のお一人で、文章を書くことがこよなく好きな女性だった。でも、子供であった私はその人の名前も職業もよく知らぬまま、「バナナのおばちゃん」と呼び、来てくれるのをいつも心待ちにしていた。
昭和三十年代当時、バナナは高級品だった。房で買うなんて贅沢なことだった。バナナのおばちゃんも決して裕福ではなかったはずだ。それでも毎回、バナナの大きな房をぶらさげて我が家の縁側にふらりと現れ、
「こんちわー。阿川さんいる?」
ガラス戸を開け、独特のハスキーボイスで笑いながら家に上がっていらした。
我が家族が何度引っ越しをしても、バナナのおばちゃんと疎遠になることはなかった。ときどき電話をかけてきて、父に小説の相談をしていることもあった。電話を切ったあと、父は言った。
「あのばあさん、まだ書きたいものがあるらしいよ。驚いたもんだなあ」
そう言いながら、父は内心で松原さんの創作意欲に鼓舞されていたのだと思う。
松原一枝という名のその作家は、敗戦直後に結婚し、五年後にご主人を亡くされた。その後、子供を育てながら戦中戦後の注目すべき事件や人物を題材にして地道に書き続けた。私がエッセイを書き始めるとたいそう喜んで、「読んだよ、面白かったよ」と即座に電話をくださった。ことに父について書いたエッセイを取り上げて、会うたびに、
「佐和ちゃん、『寒い』って言っただけで家を追い出されそうになったんだって? とんでもないオヤジだねえ」
豪快に笑い転げ、かたや横にいた父は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
東日本大震災の少し前に松原さんは九十五歳で亡くなった。もうバナナをぶらさげて遊びに来てくださる人はいなくなった。
バナナのおばちゃんが貧乏文士の狭い団地をときおり訪ねてきた時代、もう一人、豪華なお土産を持って訪ねてくる不思議なおじさんがいた。カミカワさんと名乗るその方はいつもベージュ色のフォルクスワーゲンのビートルを運転して我が家に颯爽と現れた。どことなく日本人離れをした顔のカミカワさんは片手に大きな厚手の茶色い紙袋を抱え、表のガラス戸から靴を脱いで上がると、「はい、お土産!」と食卓の上に紙袋をドンと置いた。
中を探ると――
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