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Sunday, March 1, 2020

『不思議の国のアリス』・ゲームキャラクターのモデルにもなった動物…知っていますか? ドードーのことを。『絶滅野生動物事典』試し読み | 絶滅野生動物事典 | 「試し読み(本・小説)」 - カドブン

ベストセラー『わけあって絶滅しました。』の今泉忠明さん著『絶滅野生動物事典』より、一部を抜粋してお届け!(挿画 今井桂三)
>>【第1回】絶滅危惧種「ウミカワウソ」の生態は? なぜ減少したの?

ドードー

DODO, Raphus & Pezophaps
ハト目ドードー科 COLUMBIFORMES Raphidae

《形態》全長1m強、体重25㎏ほど。
《特徴》太ったシチメンチョウほどの大きさの、飛ぶことがまったくできない鳥である。3種があり、もっとも有名なモーリシャスドードーは、くちばしは太く巨大で、先がかぎがたに曲がっている。翼は小さく、申し訳程度についているだけで、尾は羽毛が丸まったように小さくつき、脚は短い。これに引き比べると、他の2種は嘴は小さく、くびと脚がやや長い。ドードーに関しては標本がまったくなく、羽色や形態などは古い絵画や文献によるものだが、骨は多数発見されている。
《分類など》ハト目に属しているが、クイナに近いのかもしれないという意見もある。
●モーリシャスドードー MAURITIUS DODO, Raphus cucullatus
(LINNAEUS, 1758):全長1m強、シチメンチョウ大。インド洋マスカリン諸島(マダガスカルの東方海上およそ800㎞にある)のモーリシャス島に分布。一六八一年絶滅。単にドードーと呼ばれることが多い。
●シロドードー REUNION DODO, Raphus apterornis:ドードーよりもさらに太っていたとされる。レユニオン島に分布。一七四六年絶滅。
●ソリテアー RODRIGUEZ SOLITAIRE, Pezophaps solitaria GMELIN, 1789:体長は約1m、体重は20㎏以下。ロドリゲス島(マスカリン諸島からさらに東へ800㎞ほどのところに位置する)に分布。一七九一年頃絶滅したと考えられている。ヨーロッパには一度も入ってない。じっくり観察したのは一六九二年から島に住み着いたオランダ人のフランソワ・ルガたちだけである。



生活

 ドードーの生態に関するわずかな情報はモーリシャスドードーに基づくものばかりである。他のドードーについては、その生態はほとんど知られていない。
 モーリシャスドードーは森にみ、集団を作って暮らしていたらしい。食物は主として果食性で、カリヴァリアなどの植物の堅い木ノ実、果実などを食べ、そのほか木の葉なども食べたらしい。三月から九月にかけては丸々と太って、肉は格別に美味おいしくなるという。鳥類は一般に冬に脂肪をつけるから、おそらく南半球の春の九月頃から繁殖期になるらしい。巣作りするときは大群をなすという。巣は地面に作られる。この時期だけは〝のろま〟といわれたドードーも神経質になっており、巣作りしているところへ近づくと、思いっきり突っつかれるという。
 この季節には闘争心がかなり出るのだろう。翼はあっても飛べないのだが、翼はけんの時の有力な武器となる。翼にはマスカット銃の弾ほどの骨が出ていて、これで相手を打つのだという。太っていて脚が短いため、走ろうとすると太った腹が地面をこするとさえいわれた。
 ドードーに関する生態的な情報はこれくらいしかない。

コラム42
知っていますか? ドードーのことを

 ドードーとは、かつてマダガスカル東方のインド洋に浮かぶマスカリン諸島のうちの3つの島にせいそくしていた鳥の名である。ハト科に分類され、大きさはシチメンチョウあるいはハクチョウくらい。大きな頭と、クルッと巻いた尾羽をもつ。脚が短く、太っており、嘴が大きく、異様な姿をしていた。『不思議の国のアリス』では、コーカス・レースというちやちやなレースを提案する、あの鳥だというと、思い出される方もあるだろう。
 英語に「as the dodo(ドードーのように)」という言い回しがある。跡形もなく滅びてしまうこと、見る影もなく寂れることのたとえである。ドードーは飛べなかったために絶滅という悲劇的な結末を迎えた。彼らのようぼうが一種喜劇的であるために、その絶滅は一層哀れだった。
 ペンギンのように大群をなして地面に巣くっており、人を恐れなかった。だから船乗りたちはこの島でドードーを新鮮な食物として捕獲し、ついでにゲームとして殴り殺して楽しんだ。当時の船乗りたちは、乱獲すると動物が絶滅してしまうこと、動物が絶滅するとどうなるかなんていうことは、少しも思っていなかった。だから、目の前にいればそれを殺して食べたり、おなかがすけば奥地に行けばまだいると思っていたのだ。さらに珍品採集家の飽くなき欲望の対象とされた。また、人間が持ち込んだイヌやブタがドードーの卵を食いあさり、ネズミがひなを殺した。
 それで発見から100年ほどたった一六八一年にはモーリシャス島にはただの1羽のドードーもいなくなってしまったのである。ドードーはハトの1種とされるが、外敵のいない島に棲んでいたためにしよう力を失ったと考えられている。たった1羽の部分的な貧弱なはくせいと、なかば化石化した2、3個の骨のかけらと、120枚の絵を残して絶滅した。
 ドードーは頑丈な嘴で硬い植物の種子や果実、葉などを食べていたらしいが、一説によれば、モーリシャス島特産の大木であるカリヴァリアは、ドードーの絶滅によってやはり絶滅しそうだと言われる。この木は、かつてはモーリシャス島に繁茂し、用材として切り出されていた。ところが一九七三年には13本の老木と枯れ木しかなく、しかも、いずれの木も樹齢300年を経ており、実から出た若木は1本もなかった。カリヴァリアの木が毎年種子を落としていたにもかかわらず、若木がないということは、その種子が300年間発芽しなかった、ということになる。
 ドードーは巨大な嘴で地面に落ちている直径5㎝もあるカリヴァリアの種子も食べた。この種子はドードーののうの中で1・5㎝もある硬い殻が削られ、消化管で溶かされ、はいせつされて初めて発芽したらしい。実験によれば、ガチョウに食べさせたカリヴァリアの種子は、いずれも発芽したのである。ドードーの絶滅がもう一つの大きな生き物を絶滅させることになりそうだとは、いかに自然が微妙なバランスの上に成り立っているかを証明するものだろう。

状況

 ドードーの学名は〝ラフス・ククラトゥス〟であり、その意味は〝カッコウによく似た縫い目のある鳥〟で、どこがカッコウに似ているのか分からないが、縫い目とは嘴の付け根あたりのことをいっているのだろうか。ともかく、あまり意味はないように思える。その後、スウェーデンの分類学の父と呼ばれるカール・リンネが〝ディドゥス・イネプトゥス〟と命名したが、学名はつけたのが早い方が有効、ということで消されている。しかし、この「ディドゥス」はドードーの鳴き声をラテン語にしたものだと言われる。そして、「イネプトゥス」は「不適当、場違い、間抜け」だと言われる。
 ポルトガル人が来島し、そのときにドードーも発見されたわけだが、『ドードー』の名前の由来については2つばかりある。一つは、探検家たちの耳にその鳥の鳴き声が「ドードー」「ディードゥー」あるいは「ドゥードゥー」と聞こえたためと言われる。もう一つは、ポルトガル語で「間抜け」という意味の「ドゥオドduodo」に由来するのだという説である。
 どちらにしても、この逸話にはドードーの鳴き声と習性の一部分が表われていると考えてよいだろう。つまり、ドードーの鳴き声は「ドゥー・ドゥー」と聞こえることが一つ。もう一つは「間抜け」とあざけられるほどにヨタヨタとのろまだったことである。
 一五九九年、最初のドードーがヨーロッパに持ち帰られた。神聖ローマ帝国の皇帝、ハプスブルク家のルドルフⅡ世(一五五二~一六一二年)はアメリカやアフリカやインドネシアで新たに発見されたオウム類、神秘的なゴクラクチョウのはくせい、それにモーリシャス諸島産の翼のない大形の鳥ドードーなどを手にいれている。オーストラリアから最初にヨーロッパに渡った動物はヒクイドリであり、一大センセーションが巻き起こった。その鳥はおよそ6ヶ月間ヨーロッパのいくつかの動物園を渡り歩いた後、ルドルフ皇帝に贈られている。この宮廷にいたのはベルギー人の博物学者カルロス・クルジウスで、このヒクイドリのほかに、ドードーやオウムやゴクラクチョウや最初のペンギンを研究して世間に紹介した。

コラム43
マスカリン諸島の歴史

 そもそもドードーたちが棲息するマスカリン諸島は、一五〇七年にポルトガル人によって発見された。おそらくそれ以前に中世アラブの貿易商人がこの島を訪れていたと考えられる。アラブの船は中東からアフリカ、インド、中国へと、インド洋を我が物顔に航行していたからだ。古いアラブの海図には、この島々が載っている。しかし、無人島だったから、アラブの商人も長期的に滞在することはなかった。
 15世紀末、ヨーロッパからアフリカを回ってインドに到達する航路を開拓したポルトガル人は、この航路の補給基地となる良い島を探していた。マダガスカル島から東方へ航海していたキャプテン・ディオゴ・フェルナンデス・ペレイラは、現在ではレユニオン及びモーリシャスとして知られている2つの島を発見した。そしてそれぞれサンタ・アポリョーニャ島、イラ・ド・セルネ島と命名した。彼らはそこからさらに航海を続け、途中でロドリゲス島を見つけた。これをドミンゴ・フリス島とした。こうしてこの3島はペレイラ諸島と呼ばれることになった。しかし、おそらく故国への報告が後になったのであろう。今では島々は2番目に発見したポルトガル人船長の名前、ペドロ・マスカレーナスに由来するマスカリン諸島と呼ばれている。この船長は一五一三年に、ペレイラが発見したとは知らずに来島し、自分の名をつけたのである。これら初期のポルトガルの冒険者らはドードーなどその島に棲息していた動物のことを単に〝無害な動物ばかり〟だと述べている。
 ドードーの学術的な意味での発見は一五九八年ということになっているが、その年、オランダの統治者のモーリス伯爵はファン・ネック提督を8隻の船とともにインド洋探検に派遣した。オランダ艦隊はマスカリン諸島に到り、イラ・ド・セルネ島に上陸し、ネック提督はその島をモーリス伯爵に敬意を表してモーリシャス島と改名した。そして島内を歩き回った。土壌は火山性だったが黒く良く肥えていた。うつそうたるこくたんの森、おびただしい野生の鳥を見た。ネック提督は、同僚であり友人であるピーテル・ヴィレム・フェルフーフェン提督がドードーの営巣地の中を散策していて、ちょっかいを出したことから「ひどく突っつかれた」と書いている。また、ドードーに関して「ハクチョウよりも大きく、巨大な頭部は半分までしか皮をかぶっていないので、さながらフードをかぶっているように見える。この鳥には翼がなく、その代わりに黒っぽい羽が3、4本、翼の位置に出っ張っている。尾は湾曲した柔らかい2、3本の灰色の羽でできている。我々はこの鳥のことを〝ヴァルク・フォーゲル(嫌な鳥)〟と呼んだ。なぜならば、煮込めば煮込むほどに肉が硬くなり、まずくて食べられないからである」とも記している。
 一五九九年、ネック提督の艦隊の一部がオランダに帰るとき、ドードーを1羽乗せて帰った。その6ヶ月後、残りの艦隊が別の1羽を乗せてきた。1羽はオランダに残り、もう1羽はルドルフⅡ世に買い上げられ、ドイツに移り住んだ。ルドルフ皇帝の画家がその鳥を描いた。ドードーは人気者となり、ルーラント・サフェリーなる画家はドードーで一財産を作り上げた。この頃から〝嫌な鳥〟はポルトガル語源の〝ドードー(うすのろ)〟に名前を変え始めた。
 一六〇一年、この年にネック提督の航海日誌が出版されたが、そのころ1隻のオランダ船がモーリシャス島に到着して、その〝嫌な鳥〟を食糧に貯め込んでいた。水夫たちはドードーを最初の日に20羽あまり、翌日には200羽ほどを捕らえて塩漬けにして出航した。どの鳥も太っており、1羽で乗組員の一夜の夕食ができあがったという。
 オランダ人はモーリシャスが長期に渡る航海の中継基地として最適だと考え、そこを植民地にした。まもなくオランダ人が入植し、香料、砂糖、パイナップルなど、農作物の栽培を始めた。彼らはイヌを一緒につれてきていたが、すぐにドードーの巣から卵を盗んで食べることを学んだ。船からの荷物にまぎれて上陸したネズミもドードーの卵やヒナを食べることを学んだ。移住者たちも食物とし、塩漬けにして貯蔵し、寄港する船に食糧として売った。こうして次第にドードーを見つけるのは困難な状況になっていった。
 モーリシャスを訪れる旅行者はドードーを見物するならわしになった。東インド会社の役人ピーター・マンディはマルコ・ポーロ以来、もっとも広い地域を航海して回ったことで有名な人物だが、彼も一六三四年三月にドードーを見て書いている。「ドードーは……アヒルの2倍はある奇妙な鳥で、飛ぶこともできないし、足の指が分かれているために泳ぐこともできない。世界中のどこにもこのような鳥はまだ発見されていないことからいっても、この鳥がどのようにしてここに来たのかは謎である。……」と。彼は4年後、中国からの帰途、再びモーリシャスに立ち寄ったがドードーはほとんどいなくなっていた。が、ヨーロッパには少なくとも20羽近くいた。オランダに8~9羽、イギリスにオスとメスあわせて数羽、ドイツに1羽、イタリアに1羽、といった具合である。ロンドンでは1羽が見せ物になっていた。
 一六三八年頃、この見せ物になっていた1羽が死んだ。おそらくこの鳥なのだろうが、この頃、イギリスの博物学者のジョン・トラデスカントが1羽を買い取り、剝製にして自分の珍奇なコレクションに加えている。一六五六年に彼は収集品のカタログを出版し、その中で「ドーダー。モーリシャス島産。……。大きすぎて飛べない」と記している。このドードーは彼の死後、オックスフォードのアシュモーリアン博物館に所蔵されることになった。一六八三年のことである。
 時代はこれより2年ほどさかのぼる。一六八一年にモーリシャス島を訪れたイギリス人ベンジャミン・ハリーはドードーの生きている姿を目撃した最後の人物となっていた。それ以後は、いくら探してもドードーを見つけることはできなかった。
 博物館に保存されていた唯一のドードーも、虫に食われ、あまりにもみすぼらしくなっていた。一七五五年、その当時の館長は見識に欠けていた。汚らしいということでガラクタとして燃やしてしまったのだ。これでドードーは完全に地上から姿を消した。ただ、燃やす前に、誰かが標本の頭部と片足だけを切り取って残していた。だから正確には、頭と片足を残して消えたのである。
 モーリシャス島の隣のレユニオン島には白いドードーがいた。この島は山があって険しかったので、開拓も遅れた。だが、その分、白いドードーの絶滅も遅れたわけではない。一六一三年に島を訪れたイギリス人船長カースルトンが「シチメンチョウほどの大きさで、たいそう太っており、翼があまりにも短いために飛ぶことができない。白くて、どちらかというならばおとなしい鳥」と記述し、一六一九年にはオランダ人旅行家のヴィレム・ボンテクー・ファン・ホールンも同じようなことを簡単に書き残している。
 一六三八年、フランス軍艦がやってきて領有権を主張し、島の名をレユニオン島と改めた。マスカリン諸島の3番目の島であるロドリゲス島は、長さが16㎞、幅が6・5㎞ほどの細長い小島で、ここもフランスが領土としたが島の名はそのころ呼ばれていた名前のままだった。利用価値がほとんどなかったからかもしれない。ここにもドードーの仲間がいたが、この島はモーリシャス島などからはずっと離れていたためと小さかったために、訪れる船はほとんどなかった。レユニオン島に上陸した移住者は島にいた動物をりまくった。ドードーも一六四〇年頃に1羽、一六八五年頃にもう1羽がヨーロッパに送られたが、まもなく白いドードーはいなくなった。ロドリゲスのドードーは生き残るかにみえたが、運命の悪戯いたずらがあった。17世紀末、フランスでは新教徒とカトリック教徒との間に紛争が起こり、多くの新教徒が虐殺され、追放された。一六八九年、亡命者の一団がオランダにたどり着き、どこか平和に暮らせる遠くの土地をあてがって欲しいと頼み込んだ。オランダ政府はもともとはオランダ領であったし、フランス軍は引き上げたと言われていたレユニオン島に行ってみてはどうかと答えた。新教徒を乗せたオランダ船はマスカリン諸島目指して出帆した。南アフリカの喜望峰に寄港したとき、レユニオン島は依然としてフランス軍の下にある、ということを聞いて新教徒らはあわてた。そこできゆうきよ、行き先がロドリゲス島に変更されたのだ。そこはフランス領だったが、無人島だ。わずか8人となった新教徒たちは、フランソワ・ルガという50代の男をリーダーにロドリゲス島に移り住んだ。
 ルガはその島のドードーについて書いている。「島に棲息するあらゆる鳥の中でも、もっとも驚くべきものは通称ソリテアー(独り者)と呼ばれている鳥である。その名は、彼らは多数いるにもかかわらず、連れだって歩いているところを見かけることはまずないからである。オスの羽毛は褐色を帯びた灰色で、脚と嘴はシチメンチョウに似ているが、それよりもやや曲がっている。尾らしい尾はないが、しりは羽毛に覆われていて、ウマの尻と同じように丸みを帯びている。頭頂高はシチメンチョウよりも高い。頸は真っ直ぐで、もたげると体の割にはシチメンチョウよりも長めとなる。目は黒く、いきいきとしており、頭部にトサカはない。……彼らは決して飛ばない。これは、翼が小さすぎて、体重を支えることができないためである。翼は単に自分の体をバタバタッと打つためと、仲間同士が呼び交わすときの音にするだけである。……この鳥は、森の中ではなかなか捕まえられないが、開けた場所だと簡単に捕まえることができる。我々の方が足が速いからだ。季節によってはとくに簡単に近づける。三月から九月にかけて、この鳥は甚だしく肥満し、肉の味も絶妙となる。とりわけ若鳥がそうで、中には20㎏を超すものもある。……メスは素晴らしく美味しい。白いのもいれば、褐色のもいる。羽毛は1本たりとも乱れていない。これは嘴で丹念に羽づくろいをするからである。……この鳥が巣作りするときは、清潔な場所を選び、ヤシの葉を集めてきて地上約45㎝の高さに積み上げ、その上に座る。卵は1個だけ。ガチョウのそれよりもずっと大きいものを産む。これをオス・メスが交代で温める。ヒナは7週間目の終わりまでしない。かえったヒナは数ヶ月間、自分で餌を探すことができないので、その間ずっと親鳥がめんどうをみる」と。
 が、岩だらけの小島での生活は厳しく、ルガたちは2年後、小舟を作ってモーリシャス島へと命がけで脱出した。彼らの存在を嫌ったオランダ政府は逮捕し、モーリシャス島の沖にある岩礁に3年間も追放した後、ジャワ島に送った。仲間は3人に減っていた。彼らがようやく自由を得たのは一六九八年のことであった。ソリテアーのことは一七〇八年に出版されたルガの手記の中に記されたものである。
 ロドリゲス島を訪れる人はほとんどなかった。一七〇七年には短期間イギリス人の船乗りが滞在した。一七二五年にはフランスの探検隊が島を測量して回った。その後しばらくフランス人が住み着き、魚を獲って生活していた。一七六一年、天体観測班がやってきた。調査隊の一人ピングレはルガの手記を読んでおり、ソリテアーを探した。その結果、若干のソリテアーが棲息していたらしいが、ピングレ以来、ソリテアーを見た人はいない。

〈第3回につづく〉



今泉忠明絶滅野生動物事典』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321905000141/


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