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Wednesday, February 26, 2020

バナナたたき売りとの出合いが転機 伝説の露天商の65年 - 西日本新聞

 全国のその筋で、名前を知らぬ者はいないという伝説の露天商。26歳でバナナのたたき売りを始め、かれこれ65年。きりりと巻いたねじり鉢巻き。自慢ののど、独特の節回しで客を呼べば、あっという間に黒山の人だかり。昭和40年代には1日で1・5トンのバナナを売ったこともある。

 <金波、銀波の波越えて やって来ました門司港(みなと) 門司九州の大都会 仲仕(なかし)の声も勇ましく><今じゃ日本は平和国 こういうバナちゃん食べおうて あなた100までわしゃ99まで>

 北園忠治さん(91)=正統バナちゃん節保存会総範=は、北九州市・門司港が発祥とされる九州式バナナのたたき売りの数少ない後継者だ。「たたき売りは本来、見せる芸ではなく、生きるための物売り芸。廃れるのは時代の流れで仕方ないが、伝承芸能としてでも残したいと思う」。2018年から入居する大川市内の介護付マンションで2人の弟子を取り、イベントや会合などへの出演も続けている。

 佐賀市出身。佐賀第二商業学校を中退し、1943年に志願して陸軍入り。関東軍の技術兵として満州で終戦を迎えた。復員後、都立小石川工業学校で学んだが、肺を病み、47年に帰郷。「目標を失い、人との会話ができなくなった。“世捨て人”のような心境だった」

 たたき売りとの出合いが転機となった。後の兄弟子が路上でバナナを売っているのを見て、「陰気くさい今の生活を変えたい」と一念発起。すぐに師匠の門をたたいた。

 九州式は、バナナを掲げ口上をうたう「真打ち」と、合いの手を入れて商品を客に渡す「下(した)打ち」の2人一組で商売。佐賀を拠点に相棒と全国を回った。高嶺の果物と庶民の生活をつないだ昭和30、40年代。当時の大卒初任給を1日で稼ぐことも珍しくなかった。

 九州式は、その口上で売るバナナ一房しか箱から出さない。黒い房も青い房も小さな房も、しっかりと売ることができる腕前が必要だ。たたき売りと言う方が通りが良いが、実際は競り売り。戦略的な安値、高値で売ることもある。

 「一房、一房が真剣勝負。客層や天気、時間帯なども考慮し、お客さんの心を動かし、競争心もあおりながら、納得して買ってもらう」。買い手も、売り手も、ともに幸せ。それが名人のたたき売りなのだ。 (森竜太郎)

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